ぷらちなでいず

経営コンサルタント的なお仕事をしているオッサンのライフログ。 趣味はラグナロクオンライン:breidablik鯖にて2017年6月より復帰プレイ中 復帰前はmagni→vali鯖でした。 投資:少額ながらプラチナ投資を継続して実施していたりもします。

勝負は最後まで気を抜かない

今週のお題「受験」

 

私のような

ロストジェネレーション世代の輩にとって

受験というのはある意味で青春そのものである

といえます。

 

今日はそんなおっさんが体験した受験の事と

受験で得た教訓がその後で

どのように活かされたのかを

簡単に書き残します。

 

同世代の方ならば、きっとニヤニヤしながら

ご覧いただけるんじゃないでしょうか?


東京の有名私大をいくつか受験した

私なりにのっぴきならない諸般の事情があって
当時の私は是が非でも
「世間一般的に知名度のある大学」へ進学したい
というのが希望でした。

 

もちろん、それだけが進学先を選ぶ
判断基準ではなくて
進学するならば文学部の
日本文学や哲学、心理学などの学科が
いいなと思っていました。

 

その頃何となく感じている因果律のような
モノゴトの構図を学術的に捉えてみたいと
考えていたからです。

 

文学部に行って

作家や作品の研究をしたからといって
因果律を捉えることができるかというと・・・


それに就職とかってことを一切考えていない
進路選択で、実に御目出度いことだなぁ。

 

ともかく、1年間の浪人生活を経て
2回目の大学受験になりました。


もう後がない、けれど
やるだけのことはやったと思っていました。

 

本命校は早稲田大学 第一文学部で
併願が上智大学 文学部
青山学院大学 文学部

滑り止めが福岡大学

経済学部と商学部でした。

 

センター試験も受けたけど
文系特化の頭だったので

結果はある程度お察し。

 

今回はこの中でも記憶に残り、

今なお影響が残る
青山学院大学の受験を中心に
振り返ってみようと思います。

 

浪人時代は予備校で受験サイボーグ化していました

国語と社会(日本史)に関しては
かなり高い完成度まで詰めていました。

 

これは当時受験をした人にしか
判らない世界なんだけど
例えば日本史ならば
山川の用語集の欄外にある注釈まで
フルに暗記していました。

 

国語ならば古文・漢文について
受験で頻出するような作品の
主だった著名なエピソードは
原文でほとんどのものに触れていました。

 

表記以前に

内容を把握していたということで
どんだけ徹底してたんだと思いますね。

まさに受験サイボーグと化してました。

 

ちなみにセンター試験では
国語190点/200点 日本史100/100点でした。
英語が160点くらいだったろうか。
けど、国立大を受験した記憶がないので
多分もう受験はしなかったんでしょうね。

 

事前の各予備校の模擬試験では
早稲田大の合格可能性の判定で
S判定やA判定をコレクションしていました。

コレ本番じゃないんだから
殆ど意味ないんですが
1年間不安の中で過ごす浪人生にとっては
大きな精神的拠所なんですよね・・・

 

国語・日本史のダブルエースと
これまた絶対的な得点源にしていた
小論文を引っさげて
文系科目勝負!の私大文系学部受験に
特化した陣容を完成させつつありました。

 

今になって振り返れば
国語と日本史の8割くらいの

出来栄えでもいいから
英語を制圧していれば
結果はだいぶ違ったのではないか

と思います。
(それに伴って、人生もね。)

 

話を青山学院大学の受験に戻します


青山学院大学の受験科目は
国語・社会・英語でした。
確か英語の配点が150点で、
国語と社会は100点だったと思います。
英語の配点が高めなのが
青山学院大学らしいなと

思ったのを覚えています。

 

普通に考えると
合計450点中、英語だけで150点。
国語・社会と比較して1.5倍の配点だから
英語を得意とする受験生が

圧倒的に有利でしょう。

 

しかし当時の私が考えていた目論見だと
国語・日本史という

圧倒的二枚看板エースを擁する私にとって、
その2科目をキッチリ抑えることができれば
あとの英語に関してはそれなりの出来でも
逃げ切れるであろうと思っていました。

 

かくして、試験当日を迎えました。
2月15日あたりだったような記憶があります。
なお、この時点では前週に上智大学の受験が
全然うまくいかなくって
割と失意の中で迎えた東京戦線の2戦目
というシチュエーションです。

青山学院大学の受験問題は
国語、社会共に全然難しくなかったです。
ということは自分が狙った通りの出来栄え。
英語もそれほど難解ではなかったです。

割とうまくいってるじゃないかー

ってことで
無理もないことなんだけど
受験してる最中に受験会場で
自分自身の獲得した点数を
ざっと皮算用してしまっていました。

 

「これは合格するな」と思っちゃいましたね。
九州の西端、長崎から東京渋谷へ受験にきた
田舎モンにとって
予備校に通い苦節した1年間を経て
青山学院大学というブランドを

1つ確定させたことは
やはり嬉しかったんです。

もう笑みがこぼれるのを

抑えられない位でした。
目が合った試験官に対して
微笑みかける程度には余裕がありました。

受験という戦場の最中にあって
100%明確な根拠もなく
勝手に勝ちを確信してしまったのです。

 

勝負は9回ツーアウトではまだわからない

後日、青山学院大学から

不合格通知が届きました。
この時の進退窮まれた感は

忘れられないですね。

何でだ、何でだ・・・って終日ずっと
わけがわからなかったのを覚えています。

 

この時はまだ滑り止めの合格しか

カードがなくて
上智大と青山学院大を不合格、

ということは
後は大本命でかつ最難関の
早稲田大しか可能性が残されていません。
(早稲田大は確か2月28日が受験日だった)

 

それならそれで大本命に受かれば

結果的には目標と同じなんだからと
今なら気持ちの切り替えも

できるでしょうけどね。

まだまだ世間を知らない

がきんちょにとっては
苦しい戦いだったかもしれません。

 

受験の後日談


早稲田大の受験では
数多くの受験生が受験会場で
悲鳴を上げて泣き崩れたり
諦めて途中の科目から

行方不明になったりと
阿鼻叫喚の様相だったのですが
(これ今もそうなんですかね?)

 

半月前に青山学院大学の受験で
過信から負けた経験がある私は
早稲田大の受験については

最初から最後まで
やれる、やれる、って念じながら
邪心が入らないように

細心の注意をしながら
英語・国語・小論文に

最後まで喰らいつきました。

精一杯、模試でS判定やA判定を

出せたくらいには
出し切った感じはありました。

 

結果的には、この早稲田大も不合格となり
私は滑り止めしか進学するところがなく、
不本意ながらも福岡大学への進学を

余儀なくされます。

一方で、全身全霊を賭けた

早稲田大の受験を経て
これで合格しないならば
仕方ないんじゃないかっていう
ひと区切りも付きました。

 

幼少期からの実家暮らし、受験生活に
疲れていたというのも正直ありました。

 

受験から得た教訓


今日のブログ記事のタイトル通り
「勝負は最後まで気を抜かない」

ということを受験から人生訓として

学びました。

 

結果がこうなので、客観的に見ると
国語と日本史、小論文の

出来を相殺する位に

足を引っ張ることがあり得た
英語の根本的な実力不足だった

とは思います。

しかし、個人的な印象としては


やはり青山学院大学

勝ちを判断してしまった
あの瞬間が敗因だと

思わずにはいられないのです。

 

この教訓はその後、資格試験の場面や
社会人採用枠の公務員等試験など
試験というものを
受けていく場面で凄く役に立っています。

 

社会人採用枠の公務員等試験では
ペーパーテストは7戦6勝。
筆記試験では最後まで勝ち切るべし

という教訓が
活きているのではないかと思います。

 

そして今、社会人採用枠戦線を越えて
某団体職員として転職できた私がいます。

 

時空を越えて、あの時に味わった負けは
今なお私の人生に息づいているのです。